死にたい人が死にたいを克服しようとしている記録

世界で一番自分のことをわかっていないのは自分

記録:7月19日 退職願

7月19日(火)昼ごろ

勤め先に以前からの体調不良で7月いっぱいで退職する旨を伝えました。

上司は面談が少し長引いたため約束の時間より遅く応接間に訪れました。

私はそれまで、誰とも会わないように応接間の中で待っていました。

この日は出勤の日ではなかったので、何故来ているのかと皆に

聞かれたくなかったからです。

 

私は自殺未遂をして病院から入院を勧められていることなどは

一切伝えず、ただ体調不良により就労困難と伝えてやめさせてもらうように

しました。

上司は今年の業務の忙しさを知っていたので、特に深く追求しませんでした。

代わりに自分も休職したことがある、とだけ言いました。

詳細は話しませんでしたが普段からあまり精神的にタフそうに見えない上司なので、

私がどういう状況にあるかは何となく察してくれていたようです。

仕事ができるが圧がなく、下っ端と同じような仕事も嫌な顔ひとつせず手伝う

良い女上司だったので、辞めるのは少し惜しくも感じました。

 

残りの数日を有休でどうにかするか、欠勤するかについてなど話した後、

私はデスクの私物を全て鞄に入れました。

デスクで片付けをしているときに仕事のことについて他の人に話しかけられましたが、

それだけは回答して、何となく愚痴などに話を合わせながら

もう二度とここには来ないだろうと思いつつ職場を去りました。

 

帰宅した後、少し気が抜けました。

というのも、辞職のために職場に行かなければならないと思うと

ものが喉を通らず、朝から液体しか口にしていなかったので体はあまり

調子が良くなかったからです。

帰宅途中に買った豆腐などを食べて、少しエネルギーが入ったのか

心の中で難しい顔をしていた自分がほっとした顔になったような気がしました。

その難しい顔をしていた自分は、仕事に行きたくないという本音を

訴える自分のようです。

私はいつも、自分の中に小人のような自分が何人かいて、それぞれが

それぞれ活躍したい時に私という体と精神を使用しているように感じています。

 

今日の私は、辞めたい、休みたいと言っている人でした。

この人がどういう思考を持って、何の役割を果たしているのかはわかりませんが、

彼(私の中の人格は男性と女性と中性があると感じています)は

どちらかというと真っ当な、普通の人と同じ感覚を持ち、

嫌なことは嫌、楽しいことは楽しいと、人間らしい感覚を私に訴えかけてくる

思考の持ち主であるように感じます。

この人の存在を私は感覚でしか知らないので、やはり自分のどこにいていつ活躍するか

わかりませんが、この人がいつもちゃんと仕事をしていれば

私はもう少し壊れにくいのではないかと思ったりしました。

 

 

記録:6月30日 自殺未遂(処方薬の大量摂取による)

このブログを書く大きなきっかけとなった、決定的な自殺未遂について記録します。

そもそもなんで死にたくなったか、遡ると10年の歴史となりますので

今回は端的に記録として書き残します。

おいおい、自分の来歴を書いていこうと思います。

 

6月30日(木) 自殺未遂の日の昼

もともと悪化してきた体調により、通院している病院で診断書をもらい

(診断名:「適応障害の恐れ」)

就労が困難という内容のものを上司に手渡しました。

しかし事前に確認していた通り、契約である臨時職員(スタッフと呼びます)には

傷病による休職制度がないので、有給休暇を使うか退職して休むかの二択しかないと言われました。

25歳にしてすでに1度転職している私は、次はないと思っていたのもあり

この時有給を使って休みながら働くと答えました。

 

しかし心の中では「続けて死ぬか」「やめて死ぬか」の二択になりました。

仕事のストレスについては別で話します。

帰宅して家をキレイにすると、決意をして家を出ました。

数日前から調子が悪く、自殺場所を探して夜散歩に出掛け、ここなら死ねそうという

高さの場所を見つけていたためです。

 

私が自殺未遂をする時、

「少しでも怖いと思ったらやめよう」「まだ誰かに話したいと思ったらやめよう」

の2つを心に決めています。

(※ちなみに、死ねない行為に意味はないので自傷行為は一切しません)

 

6月30日(木) 23時ごろ 崖の上

崖の上で母に電話をかけました。少し前から調子が悪いことを心配してくれていたので

今日上司に話したことの結果を伝えるためです。

この時点で、私は「ありがとう」と「ごめんなさい」を伝えて電話を切り、

荷物を整えて下をよく確認し、背中を向けて頭から飛び降りるつもりでいました。

横浜の夜景が見えるキレイな場所でした。

天気は曇りだったと思います。都会の空は深夜でも明るいので本だって読めるくらいです。

 

上司に言われたことを伝え母がそれは厳しい状態だね、と言いました。

後ろで父も聞いていたと思います。

スピーカーホンで話していたので、静かな夜でしたが電車が通る音で外にいることを

気づかれてしまいました。

どこにいるの、と問いただされたので「崖の上にいる」と素直に答えました。

今すぐやめて家へ帰れと言われました。そこからの説得の言葉はよく覚えていません。

電話を切ってからもしばらく崖の上をうろうろしていたと思います。

 

でも、「思い切り」がなかったのでその時はやめました。

先ほど言ったように少しでも怖いと思った時はやめようと決めていたからです。

それでも死にたい気持ちは治らず、母との通話を切り、歩き続けました。

通行量の多い道路を眺めては「今ここに飛び出せば死ねる」と考え、

マンションを見上げては「この高さでは無理だ」と考え、

体が疲れてきてしまったので、家へ帰りました。

 

途中、知らない番号から0時も過ぎるのに2度電話がありました。

フリーダイヤルではないのでセールスではなさそうです。

この時は調べても出てこなかったので諦めました。

電話は2回、違う番号からかかってきていて、私は1回目の番号しか調べませんでした。

翌々日になってもう一度調べた時には2回目の番号で横浜市の消防局がヒットしました。

両親が「これは死ぬ」と判断したようです。

 

7月1日(金) 日付が変わった頃

もう一度かかってきた母からの電話に、家に着いてやれやれしたところで

出ました。家にいるとわかった母はそのまま寝なさいというようなことを言っていたと

思います。後ろでカーナビの音が聞こえました。

深夜に父が茨城から車を走らせてこっちへ向かってきていることがわかりました。

木曜日の夜です。明日には仕事もあるのに全く親不孝な娘は勝手に死のうとしているのです。

でもその時は都合がいい、と思いました。

自殺した死体を腐らずに早急に片付けてもらえると思ったからです。

 

家には一ヶ月もつように、と昨日診断書と一緒に処方された薬が大量にありました。

自殺未遂をして胃洗浄された女性の話などネットでよく聞くものでも、量は大体50とか70とか100くらいです。でも私の手元には200ありました。

これはいける、と思いました。

 

懸念事項といえば両親がこちらへ向かっていることくらいです。

ですがその時はもうなんでも構わなかったのでとにかく死のうと思いました。

急いでセパゾン200錠(以上。200あることしか確認しなかったのでそれ以上はありました)

メイラックス10から20錠(多分。どうせなら全部飲もうと思ったのでこれも確認せず。おそらく20錠程度)

マイスリー20から30錠(多分。2シートあったのは覚えています。3シートあったかはわからない)

合計で約250錠ほどの薬をシートから一つずつ出すのは骨が折れました。

全部カップに出し終わったらあとは飲み込むだけです。

自慢にならないですが、私は大きなカプセルでも市販のもの程度なら合わせて10錠は少ない水で一気に飲み下せます。普段よく噛まない癖があるので。

250くらいを飲み下すと、ベッドに万一のためのゴミ袋(下からなんか出るかもと思った)、

その上からバスタオル(部屋はキレイにしているので汚したくなかった)を引いて、

好きなアロマを炊き、一番好きなヒーリングミュージックをかけ、

吐いた時用にベッドの下に洗面器と水を用意して寝ました。

 

その後の記憶はありません。

ただ、両親が扉を叩くので掛け金を外しに行ったことと母が泣きながらベッドの横にいたことくらいは覚えています。

 

朝になって、目が覚めて母が尋ねてきました。目線の際にはゴミ箱に捨てた大量の錠剤のシートがありました。

カーテンは開いていて日は高くなっていたので、何故死んでいないのだろうと思いました。

何錠飲んだのか、と聞かれたので私は「4錠」と答えました。

普段1回に飲む量です。

「じゃあこれは今まで飲んだ分のゴミだね?」

と聞かれたのでそうだと答えました。

本当かと聞かれたので本当と答えました。胃洗浄されたくなかったからです。

この時、なんとなく死ねないのだと薄々悟りました。私の体には何も異変がなかったからです。

 

でも普段からゴミを定期的に捨て、部屋をキレイにしている自分が錠剤のゴミだけ

大量に残しておくのはおかしいし、すぐバレるだろうと思いました。

でも、まだ死ねるかもしれないと思って目を瞑りました。また少し寝ました。

 

 

結局、死ねませんでした。

死ねないどころか、私は薬を250錠飲んだのに痺れもめまいもなければしっかり立って話し、

物を食べたりできました。

午後になって死ねなかったことを悟った私は、自棄になっていました。

そして、母が職場に休むと電話を入れていましたが、無理やり仕事に行きました。

少しのふらつき以外特に変わった様子もなく仕事をしていたと思います。

半休扱いで有休消化は0.5ですみました。

 

誰も昨日250錠飲んで死のうとしたやつがピンピンして仕事に来てるとは思わないだろうな、とちょっと愉快な気持ちになったのを覚えています。

 

以上。

 

母がオーバードーズを行った私を見てかかりつけ医に相談し、緊急入院の手筈を整えていたことは別の記事に書きます。

とにかく、決定的な自殺未遂をしたはずなのに、何のダメージも負っていない自分は

薬では死ねない、という情報を得ました。

むしろなんかの治験とかに使えるレベルですよね。

アニメとかドラマとか映画とかで、薬盛って大人しくさせたはずなのに生きてて逆襲する、毒が効かないキャラいますよね。(味方だとわざと毒盛らせて弱ったふりして敵の懐に潜り込んで全滅させるタイプのやつ)

ああいうのできるかもしれないと思いました。

まあ、飲んだ薬が弱かったというのがオチだと思いますが。

笑えない伝説です。

いつか笑い話にできる日が来ますように。

 

最初に

このブログの意図は

「生きることに苦しんでいる人間がどのように生きようとしているか または

死にたい人間がどんな時に死にたくなって死のうとしているか」

を伝えるためのものです。

 

私はまだ自分が死にたい理由について根本をよくわかっていません。

ですがインターネットで自殺方法について検索したり、

死んだ後のことについて懸念したりする度に、

「死ぬ前に相談して」とか「ここへ電話」と書いてあったり、

ブログにはすでに「死にたいのを克服した人」が「生きていればいいことが必ずある」

なんて書いてあったりします。

 

本当に死ぬ人は電話しません。

克服した人の話なんて読んでも思いとどまりません。私は無理だと辛くなるだけです。

そこで疑問に思いました。

「なせ今現在苦しんでいる人のことが書かれていないのだろう」と・・・

探せばあるのかもしれませんが。

 

そこで、ほとんど自分のために、私の苦しんだり良くなったり

頑張ったり頑張らなかったりを書いて

同じじゃなくてもいい、苦しいとか辛いとか何かの生きづらさを持っている人が

こういう人もいるんだなと思って

何かを考えるきっかけになればいいなと思って書きます。

それがプラスでもマイナスでも私は責任を追いません。

私は、どうしても死にたい人に、ただ家族など残された人のためだけに

奴隷のような気持ちで生きろとまで言わないからです。

ただ望むならば、同じように苦しんでいる人が、こんなことをしたら良くなったとか

こんなことをしたら辛くなったとか、そういうことを読んでおいて参考になるなと

思ってくれたらいいなと思います。

または身近に死にたいと言っている人がいる人に、その人の代わりになって

どういう気持ちでどういう理論で死にたくなっているのか伝えられればいいなと思います。

 

コメントの機能も使いません。

悪意を持っている誰か、または人を傷つけずにいられない状態になってしまった人から

身を守るためです。

希死念慮のある人間に言っていいことと悪いことの区別など、

死にたくなったことがない人にはわからないと思うからです。

 

私という人間がどうして死にたくなってしまうのか、

どうして辛くなるのかを紐解くために書くようなものですので

脚色したり、必要以上に良く見せる必要はないと思っています。

ですので、なるべく事実を書きます。

私は自分で自分を「事実」と「それを体験した自分の感情」を切り離して

物事を判断できると信じているからです。

だからここへ書く何かの団体や誰か個人を誹謗中傷する意図は全くありません。

 

以上が最初に書いておこうと思うことです。

私の全てを記録していくものですので、更新が途切れれば

元気になって全てを忘れたのかもしれませんし、

または自殺に成功したのかもしれません。

前者であることを祈って、綴っていきたいと思います。